この原稿を書いているのは2019年8月15日の終戦記念日です。「8月ジャーナリズム」という表現もあるそうですが、毎年8月は戦争についての報道を目にする機会が増えます。しかし、毎年ただ儀式のように戦争を思い出し平和の尊さを語っているだけで平和を維持し続けることはできません。特に最近は、戦争から遠ざかるにつれてまた戦争に近づいていくようなそこはかとない不安を感じることが多くなりました。
世界では、米中、米イラン、日韓、英国対EUなど、国内では、京アニ事件やあいちトリエンナーレでの表現の不自由展事件など、何かと対立、分断、憎悪(ヘイト)、差別、恫喝、威嚇、脅し、暴力が目立つようになってきました。ここ数年の間に、かつてないほど不寛容でネガティブなエネルギーが一気に世の中に充満した印象です。
人間の「怒り」や「憎しみ」といった感情は恐ろしいものです。一人の小さな怒りや憎しみが最後は殺人やテロ、戦争に繋がっていきます。1970年代初頭、『戦争を知らない子供たち』という歌が流行りましたが、当時の戦争を知らない子供たちも、今では皆いい歳です。 戦後生まれの戦争を知らない世代がマジョリティとなって社会の要職を占めるようになると、「戦争は二度と起こしてはならない」という当たり前のことすらだんだんわからなくなっていくようです。かつて、田中角栄元首相が「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は危ない」と言っていたそうです。
実際、 北方領土視察で暴言の限りを尽くし、挙句の果てには戦争による領土奪還を口にして物議をかもした国会議員がいました。世界的に対立、分断、格差が広がっていく中、日本においても子供や若者、高齢者の貧困が拡大しています。対立や分断、格差や貧困から生まれる怒りや憎しみは、好戦家たちのあおりによって容易に増幅していきます。軽々しく戦争を肯定するような言動にはくれぐれも目を光らせ続けねばならないと思います。
辻野晃一郎コラム