2014年7月30日

平和の祈り: 辻野晃一郎コラム [2014年7月23日配信バックナンバー]

先日、ウクライナのドネツク上空でマレーシア航空機が撃墜されるというショッキングな事件がありました。また、同じようなタイミングで、イスラエル軍がパレスチナ自治区のガザに侵攻し、多くの市民が犠牲になっています。シリアやイラクでの内戦も続いています。不穏さを増す一方の世界情勢の中、我が国においても集団的自衛権の行使が、憲法改正などの正式な手続きを踏むこともなしに閣議決定により容認されるという事態になりました。太平洋戦争後、平和憲法をいただくことにより70年に渡って他国の争いに巻き込まれることを回避し続けてきた我が国の基本スタンスを大きく変えてしまう一大事です。

外務省のホームページには、7月3日付で、以下のような説明が掲載されています。「日本として、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の立場から,同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら,地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していかなければならない。」

いわゆる、八百万の神の国である日本は、元来、多様性に対して懐が深いところがあると思います。それぞれの違いを尊重し、「世間さま」に遠慮したり配慮しながら「和をもって貴しとなす」だとか、「互譲互助」という精神を根底に持っており、「利己」は嫌われ「利他」が重んじられます。上記の外務省の説明文は非常に耳触りも良くもっともらしい主張ですが、「積極的平和主義」というものの本来のあり方は、武力を肯定した「利己」の押し付けであってはならないと思います。

キリスト教の出典ですが、ある方が、聖フランチェスコ・アッシジの平和の祈り、というものを教えてくださいました。

【平和の祈り】 主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい。 憎しみのあるところに愛を、 いさかいのあるところに許しを、 分裂のあるところに一致を、 疑惑のあるところに信仰を、 誤っているところに真理を、 絶望のあるところに希望を、 闇に光を、 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 慰められるよりは慰めることを、 理解されるよりは理解することを、 愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。 わたしたちは与えるから受け、許すから許され、 自分を捨てて死に、永遠の命を頂くのですから。

暴力や武力で押さえつけるやり方からは悲しみや憎しみしか生まれないことを嫌というほど学んできたにも関わらず、それを繰り返す人類は本当に愚かで救いようがありません。紛争地域に一刻も早い平和が訪れることを心から祈ります。



辻野晃一郎コラム
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