2014年5月29日

2045年問題: 辻野晃一郎コラム [2014年5月22日配信バックナンバー]

技術的特異点(テクノロジカル・シンギュラリティ)という言葉を聞いたことがあるだろうか?これまで人類が築き上げてきた技術史の延長線上では予測できなくなる未来モデルの限界点のことを指す。米国の科学者、レイ・カーツワイルを始めとする科学者の一部が、「特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは人類ではなく人工知能やポストヒューマンであり、これまでの人類の傾向に基づいた未来予測は通用しなくなる」と主張しており、レイ・カーツワイルは「機械の知能が人類の知能を超える日」が到来するタイミングを2045年としている。一部のSFマニアやギーク達が支持するオカルト科学扱いされた主張でもあるが、2012年にグーグルがレイ・カーツワイルを獲得したことから、にわかに真実味を帯びた話題として扱われるようになり始めた。

この予測の詳細は割愛するが、街を歩いても、電車に乗っても、老いも若きもほとんどの人が必死にスマホを操作している光景は見慣れたものとはいえ、一種異様な光景でもある。異様に思うのは、いわばスマホを手放せない人達というのは、手のひらの小さなデバイスに支配されているように感じるからでもあろう。歩きながらも首をうなだれて携帯に見入り、突進してくる人を危うく避けたというような経験は誰にでもあるだろう。今の段階ではまだ人体とは別体の外部デバイスに過ぎないが、次の段階はこれが身に纏うもの、すなわち、ウェアラブル・デバイスへと置き換わって行く。腕時計タイプのものやグーグル・グラスのようなものだ。ここまではまだ人体の外側だが、さらに次の段階は、いよいよ、チップやセンサーなどが人体の内側に組み込まれる時代が来ると予想される。人間の神経細胞レベルのナノコンピュータデバイスを作って人体に埋め込み、人間の頭脳中枢をコンピュータに直結させて「意識」をコントロールしたり、脳細胞に存在する情報を取り出すようなことも可能になるだろう。

このような予測を肯定する人もいれば一笑に付す人もいる。また、そのような未来が来ることには肯定的でも、それを積極的に受け入れようとする立場と、人類にとって危険過ぎると否定する立場もあるだろう。人間の精神や魂が人類の叡智を凌駕した機械にコントロールされるような未来を生み出さない為にも、そして、人類が人類であり続けるためにも、今後は宗教や哲学や芸術などが科学技術の飛躍的な進化とバランスを保つための実学としての役割をもっと積極的に担っていかねばならないように感じている。このテーマについては今後も追い続けて行きたい。

辻野晃一郎コラム
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