先日、息子が「硫黄島に行く」と突然言い出し、自衛隊の軍用機に乗って硫黄島に行ってきたので少し驚きました。大学生なのですが、朝比奈一郎氏が主催する青山社中のリーダー塾というのに通っているようで、そこの企画で慰霊祭に参加する機会を得たようです。
戻ってきてから、撮ってきた写真をいろいろ見せながら話を聞かせてくれましたが、太平洋戦争中の激戦の地、多くの日本兵とアメリカ兵が犠牲になった地に赴いたことによって、彼なりにさまざまに思いを巡らせたとみえて、言動が少し変化していました。
硫黄島といえば、守備隊の栗林忠道中将が有名で、クリント・イーストウッドの映画「硫黄島からの手紙」では渡辺謙が演じて話題となりましたが、この栗林中将は抜きん出たリーダーとしての力量のあった人と言われています。硫黄島が陥落すると、B29によって直接東京が空襲の脅威に晒されるため、首都東京を焼土としないために硫黄島を死守することが栗林部隊の責務でした。当初、米軍は5日で硫黄島を陥落させる予定でしたが、この栗林中将の卓越した戦術と実行力、統率力によって守備隊は最後まで徹底抗戦して、実際には陥落まで36日間を要しました。制海権、制空権を確保し、火力兵力その他物資において圧倒的に優勢であった米軍の死傷者は日本側の死傷者を上回ったと言われています。上記映画は日本側からのストーリーとアメリカ側からのストーリーの二部作となっていましたが、原作者のジェームズ・ブラッドリーは、栗林中将を「米軍を最も苦しめ、それゆえにアメリカから最も尊敬された男」と称賛しています。
米軍が上陸した浜には、「名誉の再会(REUNION OF HONOR)」と呼ばれる石碑が建てられており、山側の面が日本語、海側の面が英語で、二度とこのような悲劇を繰り返してはならないということと、日米の平和と友好を誓う文字が刻まれているそうです。
今の平和と繁栄の背景にはこのような歴史があり、多くの人達の犠牲や家族の悲しみなどがあったことを忘れてはならないとあらためて思いました。
辻野晃一郎コラム
このエントリーは 2012年11月10日 配信の ALEXコーポレートメールマガジンのバックナンバーになります。メールマガジンの購読を希望の方はこちらのフォームからお願いいたします。